Apple Store Ginza 「Meet the Filmmaker」 に 映画「ラスト・ナイト」 紀里谷和明監督登壇!【前編】

24日(土)銀座・Apple Store Ginza にて、11月14日(土)映画「ラスト・ナイト」が全国公開の紀里谷和明監督が、Meet the Filmmaker に登壇した。

本作は、「CASSHERN」「GOEMON」の紀里谷和明監督が、「シン・シティ」「クローサー」クライヴ・オーウェン、「ミリオンダラー・ベイビー」でアカデミー賞受賞のモーガン・フリーマンを迎え、カナダ人二人の脚本家による「忠臣蔵」を題材とし、筋を通す騎士達の生き様を描く。

紀里谷和明監督ハリウッド進出作として、既に世界30カ国での上映が決定している。

MeetFilmsMakerでは、中谷祐介さんがモデレーターを務め、紀里谷和明監督 最新作 映画「ラスト・ナイト」の制作秘話、作品づくりについてのトークが繰り広げられた。

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—みなさん、今日はお天気もいいですが、お集まりいただきありがとうございます。今日は、どういう方が集まってらっしゃるんでしょうかね。色んな映画を作っていらっしゃる方、紀里谷監督のファンの方、たくさんいらっしゃると思うのですが、今日は、進行台本は、あるのですけどもできることなら、会場のみなさんの「こういう話を監督から聞きたい」というのをここでしたいなと思いますので、どんどん自由に「こんな話が聞きたいみたいなことがある人」どんどん声を出してもらっていいですか?

紀里谷和明監督
「なかなか言えないよね。僕が知りたいのは、「映画の話を聞きたい」もしくは「クリエイティブな話を聞きたい」それか「人生の話を聞きたい」(笑)わからないけど、そういう感じを知りたいんですよ。アンケート方式にしましょう。(しばらく会場の挙手の様子をみて)わかりました。「クリエイティブな話」、「映画の話」をしましょう。」

◆紀里谷和明監督の映画作りについて

—2004年に1本目「CASSHERN」を撮られて、そこからちょうど5年後に「GOEMON」があって、また、再び5年後の最新作が「ラスト・ナイト」なんですけど、そもそも監督写真の世界で活躍されていたじゃないですか、一番最初に写真から映画作ろうと思った瞬間の事、覚えていらっしゃいますか?

紀里谷和明監督
「瞬間はないんですよ。そもそもあんまり瞬間というのがなくて、一番最初に写真をやろうと思ったのも別に写真をやりたかったわけじゃないんですよね。たまたま今日は、AppleStoreにいますけど、AppleのQuadra950というマシンがありまして、それに出会っちゃったわけですね。その時、Photoshop2.0でしたね。それを見た時に、わぁーすごいなと思いまして、それまでデッサンしなきゃいけないと思っていたのですが、写真撮って、スキャンしてPhotoshop取り込んだら、デッサンいらないじゃんと思って、写真という概念すらなかったですね。常に最初から「デジタル」って概念でやっていて、Quadra950ってのが出たときに、それが本当の意味で可能になってくるポイントだったんですね。それを買った時から、ずーっと「ラスト・ナイツ」まで繋がってますね。最初は、写真じゃなくて1枚のイメージを作りたかったんですね。それが何十枚にもなっていって、それでドンドンドンドン仕事みたいな事になっていっちゃって、そして動画をやっていると思って、その時もMacの右も左もわからなかったんですけど、いわゆる普通のその時DVって言うビデオをかりて、ミュージックビデオ作りました。その時使ったのが、FinalCutの1.0でした。俺ってAppleの回し者かな。」(会場笑)「1.0ってアメリカから取り寄せて使ったんですね。それでミュージックビデオ作りはじめて、そしたらドンドンドン大きくなっちゃって結果的に仕事みたいになっちゃって。それをやってる時に友達を笑い話で、「俺達、映画できんじゃん」って話になってきて、誰かが「これ映画いっとかなきゃマズイですよ監督。」みたいになっちゃって、それじゃやっとくかって話になってきて「CASSHERN」が始まったわけですね。」

—監督のモノづくりって、コンピューターが切っても切れない関係って言うのがひとつ面白いところでもあるんですけど、コンピューターに依存してないモノづくりって言うのも特徴なのかなって思いますが。

紀里谷和明監督
「えーと、なんですかね。それが今や、コンピューターというものが、あんまり自分で手を下す必要がなくなってきちゃった。自分で触らなくてもいい立ち居地にきちゃったんですよ。いいのか悪いのかわからないけど。初期の頃は、使える人間がまだいなかった。今みたいにレタッチャーみたいな人もいなかったし、写真においてレタッチャーするっていう業種すらなかった。音楽で言うところのマニュピレーターすらいなかった。つまりアーティスト本人がオペレーターしないといけないと言うような時代背景だったんで、それまで何年もかかって来たことが一足飛びでできる様になった時代で、一番最初にそれを始めたやつが強いというかな。信長が火縄銃を先に入れたって事で、先に勝っていくみたいなようにその当時は思ってた。すっごいパワーを持ってるんだとその当時は思ってましたね。」

—コンピューターって10人でやってたものが1人でできちゃう。でも、映画の面白いところは、人が集結しないと作れない。この二つバランスが相反するんですけど、どっちも含んでるところが非常に面白いですね。1人でやってると完璧なイメージのものが作れちゃうわけですけども、そこへノイズというか他の人が入ってくるのは、監督として覚悟の上だったんですか。

紀里谷和明監督
「そこは、緩やかなな変化が入りました。それは何かと言うと、写真家ってとにかく孤独なんですよ。1人でライティングもやって、1人でカメラもオペレーティングするし、僕の場合、レタッチからマニピュレーションから全部やってました。レタッチって表現が緩いぐらい、もうガチガチに構成してたから、背景から何から何まで作っていくって感じでやってましたからイメージ作って行くって感じだったんで、その当時から3Dのモデリングとかパソコンで取り込んでいました。そういう隅々まで1人で完璧にやっていくっていうのが僕の出だしっておっしゃってましたよね。トリミング1mm決めるのに何時間も悩んでたりするような時代だったし、1枚作るのに徹夜なんて当たり前だったし、それをドンドンドンドン進めて行って、それがミュージックビデオ始めたあたりからそれが共同作業になるわけですね。初っ端は全部自分でやってました。撮影から編集からカラコレから全部やって作っていた。それが、プロジェクトが大きくなるに従って、ドンドンスタッフが入ってきた。僕は、それが幸運だったのが、一番最初に外部から入ってきてくれたのが、非常に優れた人達だった。それは運としか言いようがないくらい。彼らとのやりとりの中で、自分が手を下す人間からアートディレクターの方に行くわけで、映画って言うのは、極めて独裁的なメディアなんですね。監督って言うのは、絶対なんですけど、うちはそうではなくて、絶対的な決定は下しますけども、物凄いディスカッションと言うのをウェルカムしますね。僕は。とにかく色んなアイデアを出してくれと。衣装だったらこういう風なもの。写真みたり映画みたりして、こういう感じ、こういう感じって言います。美術もそうです。ディスカッションした上で何かが上がってきます。上がってきたものに関して、あれが違うってやっていく作業がありまして、それをどんどん加速して行って、ミュージックビデオになり、映画って言うのはそれがもっと広くなっていくって言う作業ですね。「ラスト・ナイツ」に関しては、ただ単に決定を下さしているだけであって、手を下さしてない。「GOEMON」や「CASSHERN」って言うのは、撮影もしてますし、編集もしてますけど、「ラスト・ナイツ」は撮影も何もしてないし、編集もしてないし、ただ監督とプロデューサーに知ってる人いるって言う作品ですよね。だから写真家の頃に比べると、今、真逆のところにいますね。」

—おそらくここにいらっしゃる方、監督の写真が好きな方いらっしゃると思うんですよね。監督の写真、ご存知のように圧倒的な美意識に貫かれた写真をずーっと発表して来られたと思いますけど、それと映画と言うものが真逆であるといのが、物凄くみなさんにとっては、謎だと思うんですね。以前監督にインタビューさせていただいた時に、「俺、人と仕事するの凄い好き」っておっしゃったのが凄くビックリしたんですよ。それが、「ラスト・ナイツ」にも繋がっていくと思うのですが、監督自体は、人の意見が入るということは、ウェルカムなわけですよね。

紀里谷和明監督
「そこに至るまでには、脚本の段階とか絵コンテ書いている時から、純然たる何かがあるんでしょうね。骨組みがないとグチャグチャになっていくので、骨組みはキチンとするんですけど、そこに至る過程でその骨組みさえ変えた方がいいという判断になれば、それはやりますね。やっぱり映画10年やってまして、その前に写真10年やってて、こうやってモノづくりはじめて20年以上経ちますけど、振り返ってみると思い知らされるのが、やったことが全部集約されて今になっている。写真を撮る前は音楽やってたんですよ。それこそMacintosh Plusってのから持ってまして、それってハードディスクが存在する前のマシンなんですよ。オペレーションディスクとか1.4MBのフロッピーディスクに入れて、そこにアプリケーションを混在させて回すっていう信じられない時代から音楽を作ってた。音楽って言うのは、僕が一番上手くいかなかったことなんですけども、ただミュージックビデオ作る時にその音楽の知識があって、パフォーマーって言うシーケンスソフトがありまして、それに写真の概念がのっかってミュージックビデオになっていくわけで、今回映画をやっていても映画の中での音楽も凄くディスカッションできたし、その前にデスクトップパブリッシングのグラフィックデザインもやっていた。そうなっていくとタイポグラフィのところまで発展していく。そういう全てが、全部が繋がって今の映画になっているってところですかね。」

—それは、1本目の「CASSHERN」を撮った時に感じたのと、この「ラスト・ナイト」を撮った時では、より人と何かをやって、それで得てきたものが、映画の中により濃く入ってきてるという感触はありますか?

紀里谷和明監督
「ありますね。それは、その当時、自分ではわかってないんですよ。しかし、全てが振り返るとコンピューターのことだけじゃなくて、自分が勉強したこと、失敗したこと、なんであの時、失敗したんだろう、なんで、ああいうことが起こったんだろうということが、今、振り返ると全部が必然だったなと今は思っています。」

—一足先、映画を拝見させていただいて、より強くそれを感じるんですよね。人の力が集約していって、かつ、これは、紛れもなく紀里谷和明の映画であるという点は、変わらないのに凄くパレットの色が増えているというのが、今回の映画「ラスト・ナイツ」の大きく違う点だと思うんですね。その制作の経緯から伺いたいんですけど。今回は、脚本はカナダの人が書いた脚本ですよね。最初にこの脚本から出会った時から伺いたいんですけど。

紀里谷和明監督
「2005年の「GOEMON」の直後だったと思います。僕、過去の記憶があいまいなんで。」(笑)「その時に、アメリカのプロデューサーが会った時に、こういう脚本があるんで読んでみない?」と言われて、読んだのがこの「ラスト・ナイツ」の原型となる脚本なんですね。読んだ時、物凄い僕、感銘を受けて、この脚本は、本当に素晴らしいと。それまでハリウッドシステムに居まして、何百冊と読むんですね。送ってきますから。これは、本当に素晴らしい脚本だと思いまして、その時は、全員が日本人で、日本の設定だったんですね。日本の忠臣蔵がまんま描かれていて、ただ、英語で。ただ、物語の構築が2時間の作品として本当に素晴らしかった。これをやらしていただきたいと。その脚本の完成だけでもやらせていただきたいと言いまして、それを本当に日本人だけでやるのかと言いまして、今まで忠臣蔵いっぱいやってますから、それやってもしょうがないから、黒澤明監督の「乱」というのがありまして、それはシェイクスピアのリア王を日本で置き換えてやったわけで、その逆パージョンができると思ったんですよ。そこからがこの作品の始まりです。」

—たくさんの脚本送られて来たと思いますけど、「忠臣蔵」に惹かれたところありますか?

紀里谷和明監督
「いや、僕は、「忠臣蔵」マニアじゃない知識としては、一般の方々と同じくらいです。それがこんなに面白いんだと思っちゃったんですね。」

—主君の為に敵討ちをする話ですよね。年末になると、なんらかしらの作品で触れているので、一種の定番だと思うんですよね。それを改めみて「忠臣蔵」こういう話だったのかと思ったんですね。それは、紀里谷和明監督が、脚本を見てそう思われたと思うんですよ。

紀里谷和明監督
「うん。それまで、軽い話のようなイメージがあったんだけど、全然違って脚本が上手いんですけどね。物凄いスピード感あって。そこにも惹かれたし、そこに描かれている本質というのものに惹かれたんですね。それは何なのかと言うと日本では「武士道」と表現しますけど、何が人間にとって重要なのか。重要なものを守る為に何を差し出すのか。この場合は命を差し出してまでも自分が重要だと思う概念であったり、それを守るというところに、すごく感銘を受けましたね。」

—「忠臣蔵」というと、簡単に言うと主君と家来の話なんですよね。ある種の契約関係のある。ところが「ラスト・ナイツ」はそれ以上の関係を映画に盛り込んでいて、それが映画の大きなポイントになっている。単純に偉い人が悪いことをされたから、それを取り返しにいくのかというのを盛り込んでいる。それは、監督、今回の中で一番おっきいポイントですよね。

紀里谷和明監督
「そうですね。そこは、何度も議論がありまして、モーガン・フリーマンの役が日本で言う浅野内匠頭の役なんですけれども、オリジナルの「忠臣蔵」では、もっと若い30代くらいなんですね。そこの部分を70代で描いていくと、それが正に今、言ったところで、何度も検証したんですね。一回若い浅野内匠頭で脚本書いてみたんですけども、どうしても機能しないかったんですね。それをモーガンの年代まで戻すというような作業がありましたね。

—それによって、監督がこの作品に純粋にビジュアルであったり見せ方以上の想いが、モーガン・フリーマンとクライヴ・オーウェンの関係がかなり込められているのではないかと。

紀里谷和明監督
「これ、どこかラジオ局でインタビューを受けた時に指摘されたんですけども、「CASSHERN」、「GOEMON」、「ラスト・ナイツ」共、父と息子の話だと言われたんですね。「CASSHERN」の時は、博士と東鉄也というわかり易い、極めてハムレット的な関係性がなされてるわけですけども、その後の「GOEMON」とうのが、結局、織田信長と五右衛門の関係があって、今回は、バルト卿演じるモーガン・フリーマンとクライヴ・オーウェン演じるライデンの親子関係なんですよ。ファザコンなんでしょうね。僕。」(笑)

—基本的に映画監督、映画作家というのは、生涯をかけて色んなジャンルを撮りながら1本筋の通ったテーマを追いかけていくというのが多いと思うんですね。僕、色んな監督にインタビューするんですけど、面白いことに、みなさん自覚なくやられてますよね。監督自身も「このテーマだったら、こうだろう」とやってるわけで、擬似的な父と子にならざるえないと思ってやってるわけじゃないですよね。

紀里谷和明監督
「映画撮り終えて、人から指摘されて、例えば「ラスト・ナイツ」も極めて日本的だと言われるんですよ。そういうつもりないんだよなって思うんですよね。でも、しかし、入り込んじゃうんでしょうね自分が。だから、怖いなと思いますよ。うつっちゃう自分が。」

—まさに、今、日本的って言葉が出ましたけど、その実際にこの脚本を映画にしようとした時に、モーガン・フリーマンをはじめアン・ソンギさんもそうですけど、とにかく多国籍で、監督の中では、日本的って言葉は、「CASSHERN」の頃からなかったですよね。

紀里谷和明監督
「まるっきりなかったね。国境とか国家と言うものを僕はあんまり信じてなくて、区別していくことがあんまり好きじゃないんですね。だから、そこはないつもりなんですけど、やっぱり子供の頃からのそういうものが出ちゃうんだろうなと思いますね。そういう意味ではちょっと怖いですよね。」

◆「ラスト・ナイツ」キャスティングについて

—その考え方というのは、2004年に「CASSHERN」を撮っていた時から変わらないじゃないですか。今回、本当に本格的にこれだけの人を揃えることになった経緯を伺いたいです。どういう風にキャスティングしていったのか。

紀里谷和明監督
「具体的な事を言いますと、クライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンが僕と同じエージェンシーだった事で脚本をずっーと通して読んでもらえたと。読んでもらえて二人とも言いと言ってくれていると。たまたまクライヴが上海に行っていたので、飛行機飛び乗って上海まで会いに行きました。モーガンには手紙を書かせていただいてということなんですね。具体的に言うと。でも、本当に「CASSHERN」も「GOEMON」も「ラスト・ナイツ」もキャストに恵まれるなと思っています。自分でも何故そうなるのかわかりません。振り返ってもね。「CASSHERN」なんて凄いですよ。キャスト。そこは本当に恵まれているなぁと感謝しています。」

—監督は、撮影とか終わった後、具体的に映画とか観て、この俳優いいなぁとか探したりするんですか。

紀里谷和明監督
「映画観ながらですか?探すというより、気づくって感じじゃないですかね。この人凄いなって。そこに気がつかされますね。」

—そこは、通常のお客さんとまったく変わらない。

紀里谷和明監督
「変わらない変わらない。ただ、撮り方とカット割りは見ちゃうんで、そこはいつも自分でも嫌だなと思いますね。ついつい見ちゃうんで、純粋に映画をお客さん目線で楽しんだという事が実は少なかったりしますね。逆にテレビドラマの方が、没入していけるんですよね。あんまりカメラマンが上手い人が撮るとなんかそこにばっかり目がいっちゃって、すげぇなぁと思ってそこばっかり見ちゃう。だから、ロジャー・ディーキンとかが撮った作品とかだったらストーリーなんか見ちゃったらストーリーそっちのけでそれ見ちゃう。」

MeetFilmsMakers 後半の様子は、引き続き【後編】でお届け致します!

映画「ラスト・ナイト」は、11月14日(土)全国ロードショー
詳細は、公式サイトへ
http://lastknights.jp/

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