東出昌大・菅原小春・中村ゆり・平原テツ・麻実れい・橋本愛・中村蒼・伊原六花・井桁弘恵・野口かおる・高橋努 出演『MISHIMA2020』追加アンコール絶賛配信中!

戦後の日本文学界を代表する三島由紀夫没後 50 年となる今年。9 月、日生劇場において 4 日間限りで上演した『MISHIMA2020』。彼の人生、作品、思想に刺激を受ける 4 名の演出家、加藤拓也、熊林弘高、長久允、野上絹代が、それぞれの目線で演出する三島作品を、オムニバス形式で上演。2020 年旭日小綬章を受章した麻実れい、世界的ダンサーでありながら本作で圧倒的な芝居を見せつけた菅原小春をはじめとする、日本の第一線で活躍する才能あふれる俳優とクリエイティブスタッフが集結し、原作の魅力を受け継ぎながらも、現代の視点で『真夏の死』『班女』『憂国』『橋づくし』の新たな 4 作品を生み出しました。

さらに本公演ではライブ配信を実施。クリエイティブディレクターを鈴木健太(劇団ノーミーツ)が務め、劇場の臨場感ともまた違った映像ならではの熱気、スピード感で、三島の世界へと引き込み好評のうちに幕を降ろしました。ライブ配信の好評を得て、公演終了後 3 日後にはアンコール配信がスピード決定。徐々に『MISHIMA2020』の熱は広がりました。そして11月25日に三島由紀夫の命日を迎えるにあたり“追加アンコール配信”が決定、11 月 25 日(水)10:00~12 月 8 日(火)の2 週間限定で好評配信中。今回の追加アンコール配信に向けて各界よりコメントも到着しています。【コメント(五十音順)】

▼明石ガクト(動画プロデューサー / ONE MEDIA CEO)
ディズニーのムーランをはじめ新作映画がネット配信で公開される世界線なんて誰が想像できただろう?いよいよ映画と動画の境目は曖昧になりつつある。一方、TENET のノーラン監督のように自分の仕事を「大きなキャンバス(映画館のスクリーン)に映像を作る仕事」と定義し劇場公開に拘る作り手もいる。あの 4 月から閉鎖する映画館やライブハウスがある一方で、Netflix や YouTube やライブ配信…いわゆる「動画」で括られている存在たちはコロナショック後に大きな盛り上がりを見せた。これをニューノーマルだ、新しい生活様式に合ったエンタメだ、なんて持て囃すほど僕の脳味噌はスカンピンではない。アーティストの友人が、洋服のブランドをやっている友人が、レストランを経営している友人が、必死に戦っていた。世間から【不要不急】のラベルを貼られても、明日を生き抜くためにもがいていた。僕は彼らに何もしてあげることができなかった。あまりに無力だった。でも僕の人生の脂身はそこにあった。誰にだって、それがなきゃ生きてる意味がないことがあるだろう。
僕にとってのそれは【不要不急】と【濃厚接触】の中にあって、それがない人生なんてゾンビと同じだ。ただ生きてるだけだ。僕の人に言えない思いを真っ直ぐに撃ち抜いたのが『(死なない)憂国』だった。あの長久允が舞台?三島由紀夫!?日生劇場での上演日、都合が合わずオンラインでの配信を観た。客を入れた舞台を撮影するのではなく、オンライン配信の為だけに撮り下ろしたらしい。それってつまり長久允のワンカット映画じゃねぇか?概念的には東出昌大と菅原小春が主演した新作映画と同じじゃねぇか?結論、全然同じじゃなかった。映画でもない舞台でもない、ましてや動画なんかじゃ全然ない。しみったれたワンルームのノート PC から覗くライブだ。(死なない)憂国は、不要不急で切り取られた人生の脂身を煮詰めて作った密造酒みたいな味がする。飲めば新宿ロフトの汚ねぇ床に降り立てる。デッドハウスじゃねぇ、ライブハウスへと。まだ観てない友人各位、フォロワーの諸君、あと 3 日だけチャンスが残されてる。今夜、見届けてほしい。大きなキャンバスに描かれるTENET みたいな壮大すぎる物理法則の話もあれば、13 インチの画面越しにどうしようもなく不器用でちっぽけな人間の愛の話もあるのが 2020 年なんだ。1970 年じゃない、今を生きる贅沢を噛み締めようぜ。(『憂国』)
▼伊藤万理華(俳優)
一瞬たりとも目を離すことができませんでした。人は追い詰められている時ほど、とんでもない力を発揮するんだと改めて思いました。この熱量は、舞台で映画でライブでドキュメンタリーで。いや、もうなにか新しい呼び名をつくってほしい…こんな状況になってしまって、生きる理由を必死で探してしまうけれど、その理由が他人にとってどんなに小さなことでもいいから、生きたいです。誰もいない客席を前にぐったりするおふたりの姿が目に焼き付いています。忘れられません。(『憂国』)
▼犬童一心(映画監督)
「(死なない)憂国」の叫びを受けながら、いろんなことを思い、思い出しました。70 年の三島の自死は、小学生だった私にも大きな疵を残しました。あの日の驚きはずっと消えません。日常が刻々とフィクション化するような不思議な一日。あの日の三島への羨望はどこから来ているのか? 熱さを内に秘めながら、汗ひとつかかず死に時を決められたこと、死を恐れずにコントロールできたらという日々の思いを実現できていることからのものでしょうか。フィクションをリアルとつなぐバネの利いて見える肉体にも惹かれます。「憂国」を実践する知性と気構えと肉体。死を間近に置くことの緊張感が生み出す生の輝き、その美しさが指先、呼吸にまで宿るような時間。そんな体でするセックスを三島は求めたのかもしれません。価値高き高級な生と性。あの日から、そんな三島を見上げてしまうところがずっと自分にはあります。三島の死とともに始まった 70 年代、日々を過ごす気づきをくれ支えになってくれたのは音楽や映画でした、惹かれたのはピエロや臆病者たちです。小学生の時、テレビで見た「エデンの東」や「理由なき反抗」のジェームスディーンが女々しくメソメソと泣いたのを見た時、私には大変なショックでした。そんな、男の風上にも置けないふざけた態度を肯定的に描いているからです。男らしさのかけらもないその泣きくれる様に私は誰にも気付かれぬようそっと感動していました。荷物を降ろして楽になった気分でした(「死なない憂国」の主人公の男は、女々しいというより、みっともない泣き方をしますが、「みっともないのは、嫌いじゃないよ」と言ったのは、神代辰巳監督「恋人たちは濡れた」の主人公だったか、「みっともなさ」を評価するという発見もその当時重要でした)。その後、ニューシネマや、ディランにも女々しさを肯定されました。ニューシネマの主人公たちのすぐに答えを出さない、非決定の態度に胸打たれました。「ファイブイージーピーセス」のジャックニコルスンの何もなし得ないまま、迷い続けるシルエットが未だに消えません。2020 年の今が、タイムトンネルで 70 年代とつながり、再び、必要されるのが臆病者やピエロ、人前で女々しく泣くディーン、非決定のジャックなのでしょうか。「(死なない)憂国」は、陶器のような美しさではなく、匂いたつような肉肉しい体が暴れ、マーラーでなく、インディーズロックで埋まった音の中で、三島のように寡黙に価値を見出し知性と戯れ死を操る気構えを持つことに陶然とするのではなく、汗まみれでフラフラと叫び続け「わからない!」と連発するみっともない姿に理知と凛々しさを見出し、その額の汗を美しく感じるものでした。その汗の輝きに(2020)「憂国」を感じました。(『憂国』)
▼岩井俊二
空間と役者と言葉があれば一瞬で演劇空間は誕生するもんだと再認識しました。それを接写で追うカメラの視点と手持ちマイクに新しい演劇の可能性を感じました。(『憂国』)
▼上田慎一郎(映画監督
生の感触。最前列でライブを観ているようだった。高熱で躍動し続ける役者、映像、言葉…。それらが脳をすっ飛ばして腹に刺さった。その痛みが「お前はどう生きる?」と問うてきた。今を生きる僕らに効く作品だ。(『憂国』)
▼小川彩佳(アナウンサー)
ひとつの芸術に、思いがけず救われました。握り続けた手首を離すと掌に一気に血の気が戻るように、知らぬ間にゾンビ化していた心の一部がどわーっと彩りを取り戻して。憂国に身を捧ぐな「生きろ」どストレートに胸を突くこの熱とことばと氷結ぬるま湯割り。コロナ禍を生きるひとりでも多く方に届いてほしいと、願ってやみません。(『憂国』)
▼岡田利規(演劇作家・小説家 / チェルフィッチュ主宰)
「(死なない)憂国」に感動しました。作り手のスピリットが、ナイーブさが孕む危険を(おそらくは百も承知の上でそれでも)顧みず、びっくりするくらい真っ直ぐに突っ走ってる。そしてその言葉とパフォーマンスが、とにかく真っ直ぐ突き刺さってくる。目が離せませんでした。役者がすばらしかったです。与えられたせりふや作品のテーマということにとどまらない、なにかもっと深いところ、それこそスピットにまでコミットしているのだとしか思えないパフォーマンスだった。ぼくは個人的にいわゆる〈ハイテンション〉な演技は一般的に苦手ですが、これは違った。信じられました。演劇の上演にカメラが持ち込まれていて、役者がカメラの存在・カメラ
の向こうにいる観客の存在を前提に置いて、舞台上で演技している、というその形式も信じられた。配信という形式で見たけれど、ちっとも遠くなかった。この作品が、あたかもただの偶然であるかのようにして三島由紀夫のスピリットと共振していることも含めて、鑑賞後の残響がなかなか止みません。(『憂国』)
▼川島明(お笑いコンビ麒麟)
最初から一気に引き込まれる圧倒的なテンポ。激しさを増したところに突然豪雨が止んだかのような静かな水滴のリズムで物語は運ばれていく。2020 年の「橋づくし」は美しくアップデートされその冷淡さはさらに鋭さを増し、最後は後ろから薄笑いされているような心地よい不気味さを感じた(『橋づくし』)
▼上出遼平(テレビディレクター・プロデューサー/テレビ東京)
生きようとするだけで殺人犯。77 億総加害者。推定有罪。ライブハウスがデッドハウスになるこの世界で、生きているってなんだろう。どうか死なないで。死なないでいさえすれば。骨を抜かれてクタクタにヘラヘラになっても。情緒不安定な 1 時間。二人は祈っておられました。『憂国』(『(死なない)憂国』)カッコが多すぎて内と外とがわからない。(『憂国』)
▼上村聡史(演出家 / 文学座)
女と男のいる風景、そこに立ち上がる性愛、渇望、嫉妬、母性、抑圧、そして本能といった色彩が、格のあるリズムとソリッドなビジュアルで、失われた美意識を鮮やかに今に再生している。特に麻実れいさんの身体から醸し出される言葉、品、そして音は、虚と実が入れ乱れる実子という退廃的なキャラクターに、詩のような奥行きと生の明暗を与え、こちら側の感性と想像力を魅了する。(『班女』)
▼亀島一徳(俳優 / ロロ)
(死んじゃった)三島由紀夫さんと(死にそうな)2020 年の人たちへ。自分の置かれている状況や、住んでいる国での出来事にゲボ吐きそうになりながら、なんとか日々をやり過ごしている最中に観たのが『(死なない)憂国』で、深夜に部屋を暗くして、TV とパソコンをつなぎ、お隣さんに怒られないギリギリの音量で再生すると、画面から物語が流れ出し、僕の部屋が信二と麗子の部屋になって、今観たい作品がありました。あまりのことに心臓がもげて、十四才みたいに興奮していたのですが、エンドロールを眺めているうちに大人に戻り、34 歳の「夫」として「妻」と呼ばれる人と一緒にこの作品を観たいと思いました。この作品に出てくる「妻」や僕の隣にいる
「妻」は三島さんが考える妻とはきっと違いますね。僕もあなたが考えた夫や男ではないでしょう。この作品に出てくる「日本」は、三島さんの考えた日本と比べてどうですか?部屋に流れ込んだ作品は、そんなことを喋ってました。『憂国』の最新版は(死なない)ので安心して観て下さい。(死んじゃった)人や(死にそうな)人にオススメです!(『憂国』)
▼是枝裕和(映画監督/テレビディレクター)
加藤拓也さん演出の「真夏の死」を拝見した。驚いた。僕は昔から三島由紀夫の良い読者ではなかった。むしろ苦手と言っても良いくらいだ。そんな僕がこのお芝居を観た直後に、あぁ、これを映画に出来たらと素直に思いながら席を立った。舞台は、大変抑制が効いていて、椅子が二つだけ。海辺も、電車も、クラブも、ほぼ音と光の違いだけで描き分けられている。つまり、観客の想像力と役者二人の芝居を信じ切った演出だった。老練と言っても過言では無かった。それでいて、ミシマという名前に変に構えることもなく、ストイックでありながら素直な瑞々しさも失っていない。パンフレットを読んで、加藤さんがまだ 20 代の青年だと知って、二度驚いた。自分の年齢とのあまりの開きに嫉妬さえ覚えず、新しい才能との出会いに、何だか清々しい気持ちを抱いてタクシーに乗った。(『真夏の死』)
▼佐久間宣行(プロデューサー・演出家・作家/テレビ東京)
素晴らしかったです。あの原作にちゃんと立ち向かって、仕留めに行ってました。長久さんが送り出す熱量とスピードとアップデートされた価値観に、菅原小春&東出昌大の身体性がぶつかり合って、とんでもないグルーヴ産んでました。必見です。(『憂国』)
▼辻本知彦(振付家)
長久允さんが作り上げた世界観に心が震えた、良かったでしかない。”憂国”の中で二人の関係が愛おしく美しかった。またダンサー菅原小春の違った魅力を見ることができ満足。このまま女優に転身するんじゃないかと思うほど、これからの小春が楽しみだ。(『憂国』)
▼NATURE DANGER GANG(音楽バンド)
NATURE DANGER GANG 代表曲『生きてる』(https://m.youtube.com/watch?v=H0hpLhw1Moc)への完璧なアンサー。無責任に「生きてるってなんだろ?生きてるってなあに?」と歌った私たちへ、問いかけだけを抱きながら訳もわからず込み上げた感情のフロアへ。ライブであり、ライブ(生きる)。三島由紀夫、憂国へのリスペクトと供に長久監督の魂によって出来上がった完璧な舞台です。(『憂国』)
▼ほな・いこか(ゲスの極み乙女。ドラマー)
なんだか不穏というか、不安というか……不思議な心持ちにさせられるオープニングから、突然ぶわぁっと開ける”野上絹代”の世界。独特な表現方法でドラマティックになる。それが野上絹代マジック。(『橋づくし』)
▼三浦崇宏(クリエイティブディレクター / The Breakthrough Company GO 代表取締役)

あらゆる表現のジャンルというものは、作家を縛るためではなく、羽ばたかせるためにある。映画ならば映画にしかできないことを、小説ならば小説にしかできないことを、(可能であれば広告には広告にしかできないことを)やらなくてはいけないし、やりたい。そして、この『(死なない)憂国』は紛れもなく演劇にしかできないことだ。当然配信作品は、“演劇にしかできないこと”をやってのけたことをありありと映している。それだけでも2020 年、いま、絶対に見ておくべき作品だよ。そして、もう一つ、この作品が語る“死なないでも憂国は成立する”というメッセージがまたどうしようもなく今必要なメッセージだ。向き合うとか、闘うとか、とか、いろんな過激な綺麗事に目を奪われるが、やり過ごすように生きることだってあるし、這いつくばるように生きることもある、そしてそれはいずれも素晴らしい。だって、生きてるんだぜ!?生きてるんだからさ。生きてるわけよ。そんな、今を生きてる(生きるしかない)人々のリアルな思いを、2020 年の人間を代表して、三島由紀夫という過去の傑物に異議申し立てをしたことに拍手喝采。そしてこのメッセージを演劇で、三島由紀夫へ中指突き立てるスタイルを通じて現代に投げ込んだ長久監督と二人の素晴らしい役者は、皮肉なことにとてつもなく闘ってるし、向き合ってるんだよな。今日を生きる(しかない)あなたのために配信されてると思った方がいいよ。(『憂国』)
▼柳沢英則(新宿 LOFT 店長)
『(死なない)憂国』を見させて頂きました。新宿 LOFT で出会った主人公達に妙にシンパシーを覚えました。何年か前に起こったムーブメントに NATURE DANGER GANG や Have a Nice Day! が出演していて、沢山のお客さんが自由に新宿 LOFT で踊り狂っていて、まさしく劇中のままの世界のライブハウスでした。コロナ中も毎日、私は新宿 LOFT に出勤しています。いつかまたあんなムーブメントや沢山の人が踊り続ける場所に戻したいと思っています。色々な人達が関わる場所は不思議なパワーがある場所だと『(死なない)憂国』を見て思いました。ライブハウスはデッドハウスじゃない!私もそう思います。(『憂国』)
『MISHIMA2020』追加アンコール配信は、絶賛配信中!詳細は、『MISHIMA2020』公式サイトへ

☆☆☆作品情報☆☆☆

『MISHIMA2020』追加アンコール配信
チケット販売 URL
https://w.pia.jp/t/mishima2020/ <ぴあ「PIA LIVE STREAM」で配信>
視聴可能期間
11 月 25 日(水)10:00~12 月 8 日(火)23:59
チケット発売期間
発売中~12 月 8 日(火)20:00 まで
販売価格
1,500 円~3,000 円(税込)
手軽にお楽しみ頂ける 1 作品単品や、お得な 2 本/4 本セットも!
またプラス 500 円でプログラム付も数量限定販売。
特典
演出家スペシャルインタビュー&上演脚本の視聴サービス(『班女』は対象外です)
<作品詳細>
『真夏の死』(『summer remind 』)
作・演出:加藤拓也│出演:中村ゆり 平原テツ
『班女』 近代能楽集より
演出:熊林弘高│出演:麻実れい 橋本愛 中村蒼
『憂国』(『(死なない)憂国』)
作・演出:長久允│出演:東出昌大 菅原小春
『橋づくし』
作・演出:野上絹代│出演:伊原六花 井桁弘恵 野口かおる / 高橋努

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